私もかつては
大学生でした。もちろん
大学の
講義は聴いていたし、それで分からない点あるいは興味を持った点については、自分でよく勉強したり友人たちと意見を交換しては議論を戦わせたりしたのを今でも懐かしく覚えています。
今思えば
大学時代が自主的に進んで勉強をした時代かなと思います。理系の学生の癖して数学はあまり得意じゃないし、英語もあんまり・・・。でも自分の研究や、興味を持った分野であればその数式を理解するために一から勉強したし、そのときばかりは英語も片っ端からやりました。
大学とは私にとって自主的に勉強をする場であり、専門研究の拠点かなという感じがします。だからこの
ニュースを聞いたときはうーんと思ってしまいました。
文部科学省は
大学・短大教員の
講義の
レベルアップのため、全
大学に教員への
研修を義務付ける方針を固めたそうです。来年度に
大学設置基準と短期
大学設置基準を改正し、早ければ08年4月にも
義務化する方針です。。研究中心と言われる日本の
大学で、学生への
教育にも力点を置く必要があると判断したもので、「
大学全入時代」を迎え、学生の質の低下を懸念する経済界からの要請も背景にあるというのがその理由。具体的な
研修内容などは今後、中央
教育審議会で検討する。
学生への
教育といいますが、そんなものは自分でやるものなのではないかなあというのが私の意見。自主性をおいて置いて何でも与えられる
教育を何時まで受けているようでははっきり言って
大学へ行く必要はないのではないかと思います。
対象となる教員は
大学約16万2000人、短大約1万2000人(05年度現在)。教員の
教育内容や方法の改善のため、各
大学で組織的な研究や
研修をすることを「ファカルティー・ディベロップメント」(
FD)と呼ぶそうです。文科省は99年9月、
大学と短大の設置基準を改正し、
FDの努力義務規定を盛り込んだ。これによりFDを導入する
大学は年々増加し、04年度は全
大学の約75%に当たる534
大学が実施したといいます。
しかし、各
大学で現在行われている
FDの内容は講演会の開催や
研修会、授業内容の検討会など座学中心で、実効性や効果を疑問視する声もあるようです。また07年度に
大学・短大の志願者数と定員数が同じになる
大学全入時代を控え、経済界には「企業で戦力として使える人材となるように
教育してほしい」と、
大学教育の充実を求める声も強い。今後、具体的な
研修内容は中教審で審議されるが、各
大学ごとに建学の精神や求められる教員像が異なっており、「統一のガイドライン作成は慎重にすべきだ」という声もあるといいます。一方、
大学院は既に
FDが努力義務規定から義務規定に改正され、来年4月から
義務化される。
ますます謎です。目的としては、教員が授業の内容を向上しようというのがその趣旨なわけですが、各
大学で同等の内容をしかもレベルも違うものを
講義していると思うのにそれを抜き死している点も果たして効果があるのかも疑問です。義務
教育と違ってあくまでも
大学それから高校も含めて、向学心があるものが本来は進学すべきものであるように思います。皆が行くからあるいは
大学全入時代だからという発想がなにか貧困のように思うのです。
これは私の個人的な主観ですが、
大学で凄い研究をしている人ほど授業なんていい加減という感じでしたが、それでもそういう授業というのは人気だったように思います。高校まではまだ
授業という言葉でいいように思いますが、
講義とは教師と学生が一緒に学習活動をしていく場ではないと思います。
大学の講師の
講義が分からないのであれば、自ら質問に良くでもいいでしょうし、自力で勉強するもいいでしょうし、友人たちと勉強するでもいいと思います。つまりは自主的に学んでいく姿勢が大事だと思うわけです。先に記述した、経済からの提言もなんだか本末転倒のような気がします。社会で必要な能力はコミュニケーション能力と、問題解決能力。これは教えられるものではなくって自分で勝ち取ったものでないとはっきりいって意味がないのでは?と思うんでです。
大学教育はそういった意味でも媚を売らないで高い理想を掲げて
教育していくべきだと思いますし、現在日本の
大学は約700校。 一方アメリカは4000校。 それからイギリスは100校。
各国の
大学教育のあり方というのがこれでよく分かるように思います。さて日本はどっちの道に進むべきなのか?私の立場ではどちらかというとイギリス型がいいのでは?問い右記がしますけど。どちらにしても技術立国・ものづくり立国の日本の
教育を支える大事な機関であることは変わりありません。目先のことではなく将来を見据えた体制作りが必要な気がします。